3丁目までの冒険 5

「こ、このコスプレ男が、ωの父さん!?」

 αは座席から立ち上がり、天使コスプレの美青年を指差しました。

「うん」

「マジで…?な、なんで天使コス…」

 αは、生まれて初めて『開いた口が塞がらない』気分を味わいました。もちろん、他の人たちもそうです。

 しかし程なくして、ななは何かに気づいたように小さく声をあげました。

「ま、まさか」

「うん、ななちゃんは気づいたね。さすが魔術師だ」

 天使男…ω父は嬉しそうに口元を緩めると、ななたちの後ろの座席に腰を降ろしました。

「え、魔術師ってコスプレイヤーなんっすか」

「違う違う」
 αの妙な物を見る目に、ω父は苦笑しつつ首を横に振りました。

「僕は国家のお抱え魔術師でね。“七色の世界”っていう魔術師団の団長なんだ」

「ええっ!?」

 αは大きく後ろにのけ反りました。

“七色の世界”といえば、拳士であるαでさえ知っている魔術師団体の最高峰。全世界の魔術師が入団を望み、どんなに下っ端の団員でも山一つは動かせるといいます。

 そして、“七色の世界”団長ーー疑いようもなく、世界最強の魔術師ーーその人物の魔術は、火炎系魔術は火山の噴火のようで、氷結系魔術は吹き荒れるブリザードのようで、移動系魔術は瞬きする間もない程の素早さで…以下割愛。

 とにかく、恐るべき超人なのです。

「“七色の世界”の団長は、仕事中に制服を着なくちゃいけないんだ。それがこの服って訳」

 ω父は服の袖をつまむと、ゆらゆらと揺らしました。

 αの頬は紅潮し、瞳は尊敬の念でキラキラと輝きます。

「すっ、すげーっ!!ωにそんな父親がいるなんて知らなかった!!」

「昔はよく一緒に遊んだんだけどね。まぁみんな小さかったから覚えてないか」

「こんな有名人が近くに…きゃーっ!!おまけに美青年だしっ!!」

 興奮のあまり、ななはよだれを垂らしました。

「萌えるわ…」
 低く呟いた声は、みずきにだけ聞こえましたがみずきは何も言いませんでした。(見境ないなぁとは思いましたが)

「そういえばお父さん、どうしてここにいるの?」

 ななの興奮が治まるのを待って、ωは父に尋ねました。

 ω父は少し真剣味を帯びた表情で答えます。

「…実はね、父さんは今、大変な仕事を抱えているんだ」

「大変?」

 世界レベルの魔術師をして、大変と言わしめる程の仕事とはどんなものなのでしょう。

「ある人物を追っている。それ以上は話せないけど、父さんでも成功させるのが難しい仕事なのは間違いない。…さっき、父さんと一緒に列車に乗った人たちがいただろう?あの人たちもその仕事に関わっている魔術師だ」

 ωはぐるりと車内を見渡しました。しかし乗客の顔を覚えているはずもないので、どれがお父さんの仲間たちなのかわかりません。お父さんの言うことが正しいのなら、この列車にはかなりの“七色の世界”団員がいることになります。

「正直てこずっていてね、苦戦しているんだ。だから、当分家には帰れそうもないよ」

「そっか~」

 ωはうーんと何かを考えこんだ後、嬉しそうな笑みを花開かせました。

「じゃあ、今会えてよかったね」
 ずっきゅーん

 ハートを撃ち抜かれる音がしました。

「あ~っ、ωはやっぱり可愛いなぁ~っ。遠慮なく父の胸に飛び込んでいいぞ」

「え~やだキモい」

 父の広げられた両腕の間に飛び込む事もなく、ωはゆるいながらも毒のある言葉で拒絶します。

「ああ、嫌がるωも可愛いなぁ」

 しかし父はωにメロメロなので全く動じません。目はとろんとしていて、マンガに描くなら絶対ハート型です。

 ちなみに、ななはみずきからティッシュを受け取ると鼻血を拭き取り、慣れた手つきでティッシュを鼻の穴に詰めました。親子とはいえ、美青年と可愛らしい少年のつがいは充分にななの妄想を掻き立てたようです。

 ~3分後~

「しかし、ρ君の耳は可愛いなぁ」

「触っ…ないで、ください…」

「お父さん、ρが慣れない敬語使って嫌がってるよ」

「ん?ああ大丈夫だよω。ωの方が可愛いに決まってるからね」

「ふ~ん」

「なぁっ、ωの父ちゃんっ!!そういえば名前なんて言うんっすか?」

「僕の名前?フランク・ジョージア・エリザベス二世だよ」

「カッコイイっ!!」

「…ωの父さんなのに苗字エリザベスっておかしくないか?」

「お父さん、嘘はよくないよ~。ホントはゴンザレスのくせに」
「マジで!?」

 こんな感じで、男の子withω父の会話は弾んでいました。

「全く、男ってどうしてみんな馬鹿騒ぎが好きなのかしら」

 ななは呆れたようにそう呟くものの、鼻にティッシュを詰めた姿では様になっていません。

 ティッシュを鼻から抜き、それをきれいなティッシュに包んでななは立ち上がりました。

「どこ行くの」

「ゴミ捨てに行くついでにトイレ。みずきも行く?」

「行く」

 みずきは頷きました。


 トイレの中は割と広く、綺麗に掃除されていました。

「おまたせ」

「ん。行こ」


 清潔な洗面台で手を洗い、二人はトイレを出ようとしました。しかし二人はそろって足を止めました。

 通路に繋がる唯一の入口は、決して人相がいいとは言い難い男たちによって塞がれていたのです。

「お嬢ちゃんたち、“七色の世界”団長の知り合い?」

 ガラの悪そうな男たちのリーダーらしき大男が、ガラガラの猫撫で声で問いました。

「……知らない」

 みずきはそっけなく答え、男たちの脇をすり抜けようとします。

「おおっと」

 みずきの前に、紫のローブを身につけたひょろ長い男が立ちはだかりました。

「ワリイな、通してやれねぇよ…しばらく眠ってな」
 男が短くなにかを唱えると、みずきの体からふっと力が抜けました。前方に倒れるみずきを抱き留め、男は嫌らしい笑みを広げます。

「へっ」

「みずきっ!!」

 ななは駆け寄ろうとしましたが、あのリーダー格らしい男に後ろから羽交い締めにされてそれができません。

「な~に、怖くはない。すこーし、俺たちの旅に付き合ってもらうだけだよ」

 ひょろ長い男が再びなにかを唱えると、ななの視界にゆっくりと闇が下りてきました。

 なんとか意識を保とうと唇を噛み締めてみても、だんだんと思考は闇に溶けていきます。

「おやすみ、お嬢ちゃん」

 胃のむかつくような男の笑みを最後に、ななの視界は閉じてしまいました。


「…ん?」

 疲れて垂れたρの耳が、ぴくっと動きました。

「今、ななの声が聞こえなかったか?」

「そうか?」

 αは耳をすましますが、列車が走る音が聞こえるばかりです。

「なんも聞こえないぜ?気のせいじゃねぇの」

「…そうか」

 頷きながらも、ρは眉をひそめました。

「…嫌な予感がする」

 その時です。
 腹に響く銃声が一発、列車内に轟きました。

「動くな!!」

 一気に緊張した空気の中、現れたのはいかにも悪そうな男たち。

「…予感的中だね」

 ωはρをちらりと一瞥しました。さすがρ、動物の勘が正しいと証明してみせました。

「“七色の世界”団長はどこだ?」

 男たちのリーダー格なのでしょうか、ガタイのいい男が一歩前に進み出ます。

 ω父は、すっと立ち上がりました。

「ここだよ」

「そこのガキたちとの話は聞いていた。俺たちを追っているらしいなぁ?」

 挑発するような目を向け、ガタイのいい男は銃を構えます。

 シーク父は目を点にした後、何を思ったのかぷっと吹き出しました。

「―はははっ」

「何がおかしい!?」

「残念だね、僕の仕事は君たちを捕まえることじゃない。もっと大きな獲物だ」
 君たちのことなんか知らないよ―大笑いするω父に、男のプライドはズタズタに引き裂かれました。

「なめんじゃねぇ!!」

 銃口をω父に向けて、発砲します。

 ω父は笑みを崩さぬまま、口の中で呟きました。

「透空障壁」

 分厚い透明の壁が現れ、男の放った弾丸を壁の中に吸収します。

「―なっ、超高等魔術を一瞬で…」

「だてに団長やってないよ。さて、わざわざ火に飛び込んできた夏の虫さん、準備はいい?」

 ω父が魔術を解くと、数人の乗客が立ち上がりました。“七色の世界”団員です。

 しかし、男は鼻で笑うと、仲間の一人を顎で呼びつけました。
 身長が高くガリガリでもやしのようなその男は、部下らしき人を二人連れてω父の前に進み出ました。

 二人の部下の腕にそれぞれ抱えられていたのは、気を失ったみずきとななでした。

「―!?」

「そういうことだ」

 もやし男はにやつくと、低く呪文を唱えました。

「風来斬」

 見えない風の刃がいくつも発生し、乗客たちを一瞬で切り裂きました。魔術自体は初級ですが、狭い列車内での効果は抜群です。

「次いで、操糸あやつりいと」

 もやし男の言葉と同時に、列車が急停車しました。

「じゃあな。一つ言っておくが、追ってきたら…わかってるよな?」
 みずきの頭に銃口を当てて、ガタイのいい男はω父を睨みつけました。ω父は唇を噛み締めます。

 男たちは乗客の血にまみれた扉を開けると、走り去りました。

(…思い出した)

 ω父は座席をガンと殴りました。

(あいつらは“赤の鉄槌”、強盗殺人集団だ…っ)

「お父さんっ」

 ωの声に、ω父は我に返りました。

 車内を振り返ると、傷を負った乗客たち―幸い死人は出なかったようですが、中には失神している人もいます。

「ω…怪我は?」
「僕たちは大丈夫」

 ωは頷きました。

 αは勢いよく立ち上がると、拳をぎゅっと固めました。目は怒りで燃えています。

「―許せねぇ」

「珍しく意見が合ったな」

 ρは平静を装って答えますが、いつもより低い声は怒気を充分に含んでいます。

「…うん」

 ―ωは強く頷くと、ふーっと息を吐きました。ω父はその仕草を数年振りに見ました。それは、ωが本気で怒った時の癖なのです。

「…行こ」

「待てっ!!」

 ω父は慌てて呼び止めました。

「奴らは強盗殺人集団だ、危険すぎる!!」

「でも、乗客の怪我を治せるのはお父さんたちしかいないでしょ?」

 ωは微笑みました。その表情にいつもの柔らかさはありませんでした。

「だから、僕たちが行く」
 強い意志。

 ω父は説得を諦めると、短く呪文を唱えました。ω、α、ρの肩に小さな白い光球がくっつきます。

「―神球。これで君たちの攻撃力、防御力は一気に上がるはずだ」

 ω父は息子の目をじっと見ました。息子の目には、揺らぐことのない光がありました。

 それを確認し、ω父は言いました。

「父さんにできるのはこのくらいだ。…気をつけて」

「うん」

 三人は開いた扉から飛び出しました。