3丁目までの冒険 6
列車を降りたωたちは、ρの鼻を頼りに男たちを追っていました。
辺りは開けた草原で、家らしきものは一つもありません。短い葉が風でそよぎ、日光を受けてつやつやと光ります。
「…あ」
走りながら、ωは遥か前方を指差しました。遠くに見える地平線が、カラフルに彩られているのです。
地平線に近づくにつれて、その色の正体がわかってきました。緑一色の草原が、その部分を境に美しい花園になっているのです。
「…まさか、あんなメルヘンな所に逃げ込んだのか?」
草原と花園の境に立ち止まり、ρは訝しげに色とりどりの花を眺め回しました。
花園には無惨にも踏み荒らされた後がありました。男たちかどうかはともかく、ここに複数の人間が入ったのは間違いないようです。
「なーにぐだぐだしてんだρっ、早く行くぞ!」
考え込むρの腕をαが引っ張ります。
「早く行こうよ」
いつものんびりしているωさえも急かすので、ρは少し意外に思いました。
ふうっ、とρはため息をつきます。
「何があるかわからない。気をつけろ」
「おうっ!」
αは威勢よく答え、鉢巻きをぎゅっと締め直しました。
三人は揃って花園に一歩踏み出します。
途端に、塵一つない澄んだ空気が一転し、深い霧がもうもうと立ち込めました。
「な、なんだコレ?」
「ちっ、鼻がきかない…」
αは霧の中でキョロキョロと目を動かし、ρは舌打ちします。
ωは背中に手を伸ばし、剣があるのを確認すると歩き出しました。
一方その頃。
みずきとななを抱えて、男たちは穴蔵のような場所に隠れていました。
「あの天使男は追ってきてないだろうな」
少女二人を地面に寝かせ、ガタイのいい男はもやし男に問いただします。
「問題はありません。“七色の世界”団長が怪我人を見捨てるなんてことはないでしょう」
余裕タップリに答え、男は上空を仰ぎます。穴蔵全体をぐるりと囲んだ円形の壁は天まで伸び、まるで大きな筒の中にいるようです。
「まぁ強いて言うなら、ガキ共が追ってきているかも知れませんがね。見たところ魔術師らしき奴はいなかったので大丈夫でしょう」
「まぁな。魔力のない奴らが、あの花園を抜けられるはずがないな」
もやし男の言葉に安心し、ガタイのいい男は頷きました。ふと、足元に転がっているみずきとななを一瞥します。
「こいつらはどうする?」
「そうですねぇ。殺しますか?」
ガタイのいい男は首を横に振ると、嫌らしい笑みを浮かべました。
「そんなもったいないことはしない。二人とも若い女だ、奴隷として売れば高いだろうからな」
そんな言葉にも、ななとみずきは身動き一つしませんでした。
「―α?」
霧の中で、ωは足を止めました。
「ρ?…どこ行ったの?」
ωは手を伸ばしましたが、霧でしっとりと濡れるばかりでした。いつのまにかはぐれてしまったようです。
「…え、どうしよー…」
ωは急に不安感に襲われました。先程まではαとρがいたから平気だったものの、ωはまだ十歳の少年です。霧の中に取り残されて、おろおろしてしまうのも仕方ないでしょう。
進むのも怖くなり、ωはその場に立ち尽くしてしまいました。ふっと地面に目を落とします。足元には色とりどりの花が咲き乱れ、競うように花びらを開いています。
その美しさにほんの少し安らいだωは、歩きだそうと顔をあげました。
「―あ」
ωは目を見開きました。霧に紛れてよくわかりませんが、遠くに人影らしき物が見えたのです。
ωは急いで人影に向かって走りました。
人影はどうやらこっちに向かって歩いてくるようです。やや小さめの姿が、徐々にはっきりと視認できるようになりました。
「―ねえっ」
人影から3mくらいの距離まで近づくと、ωは力いっぱい人影を呼び止めました。
人影はゆっくりと顔をあげます。
「…なんだ?」
―意外にも、その子は女の子でした。
歳はシークと同じくらいでしょうか。背中まで伸びた紫の髪と、紫の少しつり気味の目。気が強そうな子、というのがωの彼女に抱いた第一印象でした。
「あの、αとρ見なかった?」
「…誰だそれ?」
女の子が眉間にシワを寄せました。
「あ、そっか…鉢巻き巻いた子と、狼の耳が生えた子なんだけど」
「見なかったな。知り合いか?」
どうやら、女の子は二人を見なかったようです。ωはしょぼんと肩を落としました。
「うん…霧で見失っちゃって…」
「霧?お前たちの中に魔力のある奴はいないのか?」
「…魔力?」
シークが首を傾げると、女の子は目を剥いて怒鳴りました。
「なっ…馬鹿かお前は!!この霧には幻覚作用があって人を惑わすんだ、魔力も持たない人間が通れるとこではないだろう!!」
「そうなの?初耳ー」
心底驚いた顔のωに、女の子は返す言葉もありません。呆れてため息をつき、頭を横に振りました。
―その時でした。
ガサガサガサ
やや遠くの花の群れが不気味に揺れました。
「―え?」
「ちっ、起きてしまったか」
女の子は揺れる部分を睨みつけながら説明してくれました。
この霧には幻覚作用とともに、わずかな魔力も含まれていること。
その魔力を浴びて育った花は、稀に凶悪なモンスターになってしまうこと。
普段は花に紛れて眠っているが、何かがきっかけで目覚めると、天に届きそうな程巨大化して暴走すること。
説明を全て聞いたωは、いよいよ盛んに揺れはじめた花の群れを眺めて言いました。
「―え~っとつまり、君の大声のせいでモンスターが起きちゃったってこと?」
「まあそうかもな」
女の子はしれっと肯定します。
「―来るぞ!!」
女の子が低く構えた瞬間、本当に天に届きそうなほど巨大化したハエトリ草がガサッと現れました。
「うわ~…でかっ」
「のんきに言ってる場合かっ!!」
巨大ハエトリ草は何本も生えた緑の触手を鞭のように振るって攻撃してきました。間一髪、女の子とωは飛びのいてそれをかわします。
「火炎球っ」
両手を前に突き出し、女の子は赤い大砲を撃ちだしました。
火の球はハエトリ草の顔に直撃し、派手な音をたてて爆発します。
ハエトリ草は触手で顔をポリポリと掻くと、さらに勢いよく触手を振り回しました。
「―ちっ、効かないかっ」
触手を素早くかわしながら、女の子は舌打ちします。戦闘に慣れた身のこなしです。しかし、数度目の攻撃を低くしゃがんで避けた瞬間、足首が花の群れに絡まってしまいました。
「!!しまっ―」
勝機を逃すまいと、ハエトリ草は触手をぐっと振り上げます。
女の子は腕で顔をかばい、ぎゅっと目をつぶりました。
しかし、触手はいつまでたっても振り降ろされません。
「…」
女の子はそっと目を開きました。ハエトリ草は襲い掛かるどころか、奇声をあげて身をよじらせています。触手が一本、半分にすっぱりと切れていました。
「大丈夫?」
女の子を守るように立ち、剣を構えるω。
「魔術、止めないで。当たらなくてもいいから」
「…あ、ああ」
ぽかんと口を開けている女の子に微笑むと、ωはハエトリ草に向かっていきました。
ハエトリ草は口をパクパクさせながら、ωに向かって触手を振り回します。
ハッと我に返った女の子は、再び両手を前に突き出しました。
「氷雪華っ」
触手の表面に氷の粒が付着し、その動きを封じます。しかし怒り狂ったハエトリ草は粒を払い、ωに向かって触手を突き出します。ωは触手を剣で受け止め、薙ぎ払います。
そうやって一進一退の攻防を繰り返すうちに、女の子は気が遠くなるのを感じました。
火の魔術も、氷の魔術も効かない。
あらゆる属性の魔術も試した。
しかし、ハエトリ草にはほとんど効いていないのです。これ以上どうしろと言うのでしょう。
しかし、ωはにっこりと笑っているのです。まるで勝利を確信しているように。
「よし。ねえっ、少しだけアレの動きを止めて!!」
女の子は頷きました。
ωが指さすハエトリ草に、両手を突き出します。
「光鎖こうさ」
白く光る鎖がハエトリ草を捕らえ、一瞬だけハエトリ草の動きが止まります。
ωはハエトリ草に突進して、剣の刃をハエトリ草に突き立てました。もちろん、それだけではハエトリ草は倒せません。しかし、
「…さすがに、中に魔術を喰らったら痛いでしょ?」
シークの剣が、真っ白に光りました。ハエトリ草の体内に、女の子が連射した魔術が一気に流し込まれます。
ハエトリ草の体は、木っ端みじんに吹き飛びました。
「ごめんね」
剣を鞘にしまい、ωは両手を合わせて祈ります。
女の子は訝しげにωを見つめました。
「…魔術は使えないんじゃなかったのか」
「魔力はないけど魔術は使えるよ」
言わなかったっけ?―首を傾げるωに、女の子は不思議と愉快な気分になりました。自然と笑いが込み上げてきます。
「フフフ、そうか。お前、面白いやつだな」
「そう?」
「ああ。…名前は?」
「ω」
「あちきはルナだ。助けてくれてありがとな」
シークとルナはぎゅっと握手しました。
「おおーいっ」
「あ」
ωは声の方に顔を向けました。思った通り、αとρがこちらに走ってきます。
「よくここがわかったね」
「でかい影が見えたからな」
ρは答え、ωの隣にいる少女を一瞥します。
「で、こいつは?」
「こいつはないだろっ!あちきにはルナって名前があるんだ」
「ああ、悪い。俺はρ」
「αだ!よろしくな!!」
ρを押しのけ、αは天真爛漫な笑みをルナに向けます。
「α、邪魔だ。俺が聞きたいのは、どうしてこんな所に一人でいるのかってことだ」
「あちきは花を摘みにきただけだよ」
意外と女の子らしい趣味を持っているようです。
「お前たちこそ、なんでこんなとこにいるんだ?」
「…“こいつ”はダメなくせに、“お前”はいいのか?」
ρとルナの間に見えない火花が散りました。相性はあまりよくないようです。
ωはρに代わって答えました。
「仲間がさらわれたんだ」
「え?」
ωはルナに今までのことを全て説明しました。
「…そうか」
ルナは顎に手を当て、何かを思案するそぶりを見せると、きゅっと口を結んでωを見据えました。
「ω、あちきも手伝うよ」
「え?」
「一緒に戦ってくれたお礼がしたいからな」
ωの表情が、ぱあっと明るくなりました。
「ありがとう!!」
「それは仲間を助けてから言え。―さて、まずは霧をどうにかしなくてはな」
ルナは辺りをぐるりと見回しました。少し薄くはなったものの、霧は依然として視界を遮るほどの深さです。