3丁目までの冒険 11
ωはゆっくりと瞼を開きました。
頬に当たる地面がゴツゴツしていて痛く感じます。
ωは体を起こし、状況を確認しようとしました。
ここはどうやら荒野のようです。どこまでも石ころしかない土地と、紫色の空。
ωは不安になって、後ろを振り返りました。
四人はωと同じように地面に座り込み、空を見上げています。ωはホッと息をつきました。
「みんな」
「ん、ω大丈夫か?」
αが真っ先にωに気づき、心配そうに尋ねます。
「うん、平気」
「よかった。つーか、ここどこだよ!?」
αはρの方に体ごと向きます。
「なんで俺に聞くんだ」
ρは眉間に深くシワを刻み、αから目を逸らします。どうやら彼にもわからないようです。
「なな、みずき、なんか知らないか?」
「…知らない」
「私は、少しだけ聞いたことがある。確か、魔族の中でも力が特に強い者は、」
「…自分の精神世界に人間を引きずりこめるのだ」
ななの言葉を、低い声が遮りました。
いつの間に現れたのでしょうか。
少し離れたところにルナが立って、ωたちを見下ろしています。紫の瞳は曇り、まるで暗い闇のようでした。
「…ルナ」
「ω、お前たちは馬鹿な事をした。ルナの心を揺らし、この私を呼び覚ましてしまったのだからな」
ωは驚愕の表情を浮かべます。
「君はルナじゃないの!?」
「ルナだよ。しかし、自分をあちきと呼ぶ、お前たちが知っているルナではない。―『魔族』のルナ、と言えばわかりやすいか」
ルナはクスクスと笑います。
「私とルナは表裏一体。私が死ねばルナも死ぬ。ルナが怒れば私も怒る。ルナが悲しめば…」
ルナはそこでフッと言葉を切ります。
「…まぁ、良い。とにかく私は怒っているのだ。邪魔物は排除せよ、と昔から言うしな」
ルナがタクトのように指を振った瞬間、ルナの足元から闇のオーラが津波のように襲ってきました。
「障壁っ!」
ななは両手を前に突き出し、魔術でバリアを張って闇の津波を防ぎます。
しかし、
「甘いっ」
ルナの一喝で波はさらに大きくなり、勢いを増してななたちを押し流そうとします。
障壁にヒビが入りました。
「うっ…も、もう…」
「拳風!!」
αが叫び、風を纏った拳を津波に打ち込みました。
闇の津波は真っ二つに割れ、五人はとりあえず安堵します。
「言っとくが、まだだ」
そんな五人を嘲笑うかのように、ルナは手の平を紫の空に向けます。
「散弾夜!!」
放たれる、紫のオーラ。
大量に放出されたそれは天で散り、幾千の雨粒となって地に降り注ぎます。
「…どいて!」
みずきは二丁の拳銃を上空に向け、頭上に降ってくる雨粒を撃ちつづけました。それでも防ぎ切れない雨粒は、シークが剣で払いのけます。
「おい、ルナ!!」
ρは叱りつけるように叫びました。
「いい加減にしろっ、俺たちはお前と戦いたいんじゃない!」
「うるさいっ!!」
ルナはブンブンと頭を振りました。
「お前たちは、何もわかっていない!!」
「…ルナ…?」
ωはその言葉に、微かな違和感を感じました。
何も、わかっていない?
「…ちっ」
ρは舌打ちすると、降りしきる散弾夜にも構わず地面を蹴りました。
「いい加減、止めろって言ってんだ!!」
ρの爪が、ルナを狙って高く振りかざされます。
ルナは身動きすらしません。
爪は鈍く光って、ルナの喉へ―
「…くそっ」
あと少しで喉に触れそうな距離で、爪は制止しました。
「できるかっ…馬鹿がっ…」
ρは手を降ろし、舌打ちします。
「―情に負けたか」
ルナは鼻で笑うと、ρの鳩尾に拳を叩き込みました。闇のオーラを纏っているので、威力は数倍に跳ね上がっています。
ρは膝から崩れ落ちました。
ルナは冷徹にρを見下ろします。
「…友情なんかにほだされるなんて、愚の骨頂―」
その時。
闇のオーラがショットガンのように放たれ、ルナの頬を掠りました。
「―!!」
「ρから離れて」
ωは剣を構えてルナを見据えます。
一切の甘さを許さない目。
「…本当はルナと戦いたくなかった。でも、みんなを傷つけるなら許さない」
「…戯れ事だ」
そう答えつつも、ルナは自然と後ずさります。
「戯れ事なんかじゃねぇよ」
αは拳を握り直しました。
「ルナ、お前は分かってると思ってたんだけどな」
「…みずきたちは、お互いが大切。だから、傷つけたらダメ」
みずきは銃に弾を込めます。
「ルナ。あなたがこれ以上戦うって言うなら、もう躊躇わない。…全力を尽くす」
ななは強い口調で言いました。
「…お前ら…」
ρはゆっくりと立ち上がります。
ωはニッコリと笑いました。それにつられて、ρも薄く笑みを浮かべます。
五人の間に、刹那、暖かい空気が流れました。
それを目の当たりにしたルナの心に、僅かな刺が刺さります。
強烈な憧れ。
自分が欲しいものがそこにあるのに、自分は手を伸ばすことができない。
「っ…黙れ!!」
ルナは怒鳴り、再び天に手の平を向けました。
ルナの頭に、父の笑顔が浮かびます。
ずっと、ルナは父と二人で生きてきました。
友達はいませんでした。
以前は数人の遊び仲間がいましたが、ルナが勇気を出して自分が魔族であることを告げると、翌日から遊びにこなくなったのです。
しかし、ルナには父がいました。だから、なんとか寂しさを我慢することができました。
その父がいなくなったのは三ヶ月前。
突然消えた父を、ルナはずっと待っていました。
しかし、一週間たっても父は帰ってきません。
寂しさを紛らわすために、ルナは動物たちを捕まえて飼いました。
動物たちは懐いてはくれませんでした。それでもルナは、動物たちを手放す気にはなれませんでした。
ルナはどうにもならない辛さを抱え、この三ヶ月、本当に一人ぼっちで生活していたのです。
「散弾夜!!」
紫の雨が降り注ぎます。
戦いながら、ルナはωたちと初めて会った時の事を思い返していました。
―ωたちは、『魔族だろうと関係ない』と言ってくれた。
嬉しかった。
なのに、どうして自分は戦っている?
自分は…
こんなことがしたいんじゃない。
戦いたいんじゃない。自分は…!!
「ルナ?」
ωは剣を降ろしました。“散弾夜”が止んだからです。
ルナは、涙を流していました。
「…っく、ひっく…」
「ちょ、ルナ!?」
本格的に慌てたωは、ルナに駆け寄ります。
「どうしたの…?」
「っく、違う…あちきは、こんなことしたくない」
ルナはωに抱き着き、泣きじゃくります。
「あちきは、みんなと友達になりたいだけだ…でも、また会えたって思ったら、みんな怒ってて…き、嫌われたんじゃないかって、思って…」
ωはようやく理解しました。
“何もわかっていない”は“わかってほしい”の裏返しだったということを。
「ルナ」
子供をあやすようにポンポンと背中を叩き、ωは息をつきます。
「馬鹿だねぇ」
「な…っ!?」
「ったく、俺たちの辛さもちょっとは考えろっつーの」
αはプクッと頬を膨らませます。
「え??ど、どういうことだ??」
「俺たち、最初は3丁目の魔族を倒すために旅に出たんだ」
ρは戸惑うルナに、ため息をつきながら説明します。
「でも、お前と会って、3丁目の魔族がお前だって知って、倒すなんて考えられなくなってしまった。…なんでだと思う?」
「わ、わかんない」
キョロキョロと視線をさ迷わせるルナに、ななはズカズカと近づいて強烈なデコピンを喰らわせました。
「いたっ!!」
「なーにが“わかんない”よ!そんなの、友達を傷つけたくないからに決まってるでしょ!?」
眉を吊り上げてななは言います。
「ルナは私たちの友達!!そんなのもわからないのかこのバカチンっ!!」
「…ねぇ、私たちってみずきも?…みずきもルナと友達?」
いきり立つななの服をみずきがクイクイと引きます。
「バ…バカチン…」
バカチン、バカチン、バカチン…初めて言われた言葉が、ルナの頭の中で反響します。
しかし、ルナはフッと微笑みました。
「そうだな。あちきはバカチンかもな」
ルナは心底おもしろそうに、声をあげて笑いました。
みんなも笑っていました。
暖かい空気が、六人の間に流れました。
洞窟に戻った六人は、動物たちを森に帰すことにしました。
鉄格子を開け、ρが動物を先導して歩きます。
「さすが狼」
もう何度目でしょうか。その台詞を口にしたαに、ρはお決まりのツッコミ(叩)をお見舞いしてあげました。
そうこうしているうちに、入口が見えてきます。
動物たちは喜び勇んで、一斉に駆け出しました。
その時。
「はあっ!!」
誰かの声とともに外で響いたのは、
チュドーーーン
ゴオオオオ
パリパリパリパリ
キュイイイイン
…一言では言い表せないような様々な音でした。
動物たちは怯え、入口でピタリと足を止めます。
六人は急いで外に出ました。ωだけは、嫌な予感を抱えて。
その予感は的中しました。
天使男と数人の魔術師たち―“七色の世界”メンバーたちが魔術を連発していました。
ωは轟音に掻き消されないよう、大声で叫びました。
「お父さん!」
「…ω!?」
ω父が振り向き、凄まじい魔術がピタリと止みます。
「何やってるんだこんな所で!!」
「お父さんたちこそ」
「お父さんたちは仕事中だ!!」
お父さんは答え、ωから目を逸らしました。
その眼差しの先にあるのは、人間ほどもある黒い球体です。
それを見た瞬間、ルナは目を見開きました。
「お父さんっ!!」
「…ん?」
お・と・う・さ・ん?
黒い球体が、パカリと割れました。
「ルナ!!」
現れたのは、ω父にも負けない美青年でした。紫のくせっ毛と紫の瞳、頭には闘牛のような角が二本生えています。
それを見た瞬間、声をあげたのはななでした。
「嘘ぉ!!」
震える指で、紫の男を指差します。
「だ、だってあの人…ま、魔王様じゃない!!」
「えーーー!?」
ωたち全員が、一斉に紫の男に視線を向けます。
「いやぁ、俺人気者?」
紫の男は照れたように頬を掻きます。
誰一人状況を把握できないまま、時間だけが流れていきました。