3丁目までの冒険 最終回

 ω父の話によると、事の顛末はつまりこういうことでした。


・“七色の世界”は、3丁目近くの洞窟に魔王がいるという情報を聞いた。

・そこで、団長であるω父とエリート団員たちが『魔王討伐』に向かった。

・娘の近くで戦うのは危険、と判断した魔王は逃げ出した。

・ω父たちはそれを追った。

・3丁目で魔力を感じられなくなったのは、魔王が逃走して魔力が極端に薄くなったからだと思われる。


「ん。まぁそんなところだね」

 説明を終えたω父は満足げに頷きました。

「むぅ…ルナには寂しい思いをさせてしまったな」

 魔王はシャープな顎に手を当て、うーんと唸りました。

「ルナ、すまなかった。俺がいない間、お前はどれだけ寂しい思いをしていたことか」

 魔王は深く嘆き、ルナを抱き寄せます。

 ω父は自分を棚に上げて、「親バカだなぁ」と呟きました。

「…ううん。お父さん、いいんだ」

 ルナは幸せそうに魔王に体を預け、首を振りました。

「寂しかったけどさ…あちきにも、友達ができたから」

 そう言って、ωたちに向かって微笑みます。

 魔王が“七色の世界”に追われなければ、ルナが動物たちを捕まえることもありませんでした。

 そして、もしそれがなければ、ωたちが彼女と出会うこともなかったのです。

 運命って不思議なものなんだね―ωはつくづくそう実感しました。

「おおそうか!!ルナに友達ができたか!!」

 魔王はルナの頭を撫で、心底嬉しそうな笑顔を見せました。

 そして、衝撃的な一言を吐きました。


「じゃあ、世界征服は無しだな!!」


 事の顛末に、付け足すべき事が一つ。

 魔王は魔王らしく、世界征服を狙っていました。

 しかし、『ルナの友達がいる世界なら』と、どうやら世界征服を止めることにしたようです。

 つまり、ωたちは図らずも世界を救ったことになります。

“七色の世界”団員たちは大喜びし、さすが団長の息子だ、救世主だとωたちを褒めたたえました。

 ωたちにとって、そんな事は心底どうでもいい話でした。


 ωたちにとっては、ただ『友達ができた』というだけの話なのですから。

 

「ω!!」

 日曜日の午後、お母さんは相変わらず書類に何かを書き込みながらωを呼びます。

「は~い」

「ちょっと、この書類を5丁目のタナカさんに届けて!!」

 ωはボストンバッグを手に提げ、剣を背負って颯爽と答えました。

「無理。今日は友達の家に行くって言ったでしょ?」

「え、ああ、そうだったわね」

 母は約束を思い出し、頷きます。

「気をつけてね。帰ってくるのはいつ?」

「今日は向こうに泊まるから、明日の夕方だね」

「わかった。―ったくも~、お父さんはどこ行ってるのかしら!手伝ってほしいのに!」

 ωは父に口止めされているので言えませんが、ω父は魔王と飲み会中です。

 シークは玄関のドアを開けました。

 予想通り、四人はそこに立っていました。

「おせーぞω!!」

「あの時も、ωが一番遅かったな」

「時間にルーズなのは良くないのよ!」

「…そうだよ」

 口々にωを責めますが、ωがちらりと時計を見ると約束の時間より5分も前でした。

「…みんなが待ちきれなかっただけじゃん」

「う、うるせーっ」

 αは顔を真っ赤にします。

 何を勘違いしたのか、ななが鼻血を流します。

 みずきは慣れた手つきでポケットティッシュを取り出します。

 ρは知らん顔です。

「―ん、ごめん。じゃあ行こっか」

 ひとしきり騒ぐと、ωはクスクスと笑いました。
 今頃、あの洞窟で、ルナはそわそわしながら自分たちを待っているんだろうな―そんなことを考えると、自然と笑顔になりました。

「じゃあ、行ってくるね!」

 お母さんに声をかけ、ωは玄関から一歩足を踏み出しました。

「…あ、ω!!」

 直後、お母さんがωを呼び止めます。

「今さらだけど、その友達の家ってどこなの?」

 ―五人は顔を見合わせると、小さく笑いました。

 ωは答えます。

 


「3丁目!!」

 

 

 

 

 

3丁目までの冒険 11

 ωはゆっくりと瞼を開きました。

 頬に当たる地面がゴツゴツしていて痛く感じます。

 ωは体を起こし、状況を確認しようとしました。

 ここはどうやら荒野のようです。どこまでも石ころしかない土地と、紫色の空。

 ωは不安になって、後ろを振り返りました。

 四人はωと同じように地面に座り込み、空を見上げています。ωはホッと息をつきました。

「みんな」

「ん、ω大丈夫か?」

 αが真っ先にωに気づき、心配そうに尋ねます。

「うん、平気」

「よかった。つーか、ここどこだよ!?」

 αはρの方に体ごと向きます。

「なんで俺に聞くんだ」

 ρは眉間に深くシワを刻み、αから目を逸らします。どうやら彼にもわからないようです。

「なな、みずき、なんか知らないか?」

「…知らない」

「私は、少しだけ聞いたことがある。確か、魔族の中でも力が特に強い者は、」

「…自分の精神世界に人間を引きずりこめるのだ」

 ななの言葉を、低い声が遮りました。

 いつの間に現れたのでしょうか。

 少し離れたところにルナが立って、ωたちを見下ろしています。紫の瞳は曇り、まるで暗い闇のようでした。

「…ルナ」

「ω、お前たちは馬鹿な事をした。ルナの心を揺らし、この私を呼び覚ましてしまったのだからな」

 ωは驚愕の表情を浮かべます。

「君はルナじゃないの!?」

「ルナだよ。しかし、自分をあちきと呼ぶ、お前たちが知っているルナではない。―『魔族』のルナ、と言えばわかりやすいか」

 ルナはクスクスと笑います。

「私とルナは表裏一体。私が死ねばルナも死ぬ。ルナが怒れば私も怒る。ルナが悲しめば…」

 ルナはそこでフッと言葉を切ります。

「…まぁ、良い。とにかく私は怒っているのだ。邪魔物は排除せよ、と昔から言うしな」

 ルナがタクトのように指を振った瞬間、ルナの足元から闇のオーラが津波のように襲ってきました。

 

「障壁っ!」

 ななは両手を前に突き出し、魔術でバリアを張って闇の津波を防ぎます。

 しかし、

「甘いっ」

 ルナの一喝で波はさらに大きくなり、勢いを増してななたちを押し流そうとします。

 障壁にヒビが入りました。

「うっ…も、もう…」

「拳風!!」

 αが叫び、風を纏った拳を津波に打ち込みました。

 闇の津波は真っ二つに割れ、五人はとりあえず安堵します。

「言っとくが、まだだ」

 そんな五人を嘲笑うかのように、ルナは手の平を紫の空に向けます。

「散弾夜!!」

 放たれる、紫のオーラ。

 大量に放出されたそれは天で散り、幾千の雨粒となって地に降り注ぎます。

 

「…どいて!」

 みずきは二丁の拳銃を上空に向け、頭上に降ってくる雨粒を撃ちつづけました。それでも防ぎ切れない雨粒は、シークが剣で払いのけます。

「おい、ルナ!!」

 ρは叱りつけるように叫びました。

「いい加減にしろっ、俺たちはお前と戦いたいんじゃない!」

「うるさいっ!!」

 ルナはブンブンと頭を振りました。

「お前たちは、何もわかっていない!!」

「…ルナ…?」

 ωはその言葉に、微かな違和感を感じました。

 何も、わかっていない?

「…ちっ」

 ρは舌打ちすると、降りしきる散弾夜にも構わず地面を蹴りました。

「いい加減、止めろって言ってんだ!!」

 ρの爪が、ルナを狙って高く振りかざされます。

 ルナは身動きすらしません。

 爪は鈍く光って、ルナの喉へ―

「…くそっ」

 あと少しで喉に触れそうな距離で、爪は制止しました。

「できるかっ…馬鹿がっ…」

 ρは手を降ろし、舌打ちします。

「―情に負けたか」

 ルナは鼻で笑うと、ρの鳩尾に拳を叩き込みました。闇のオーラを纏っているので、威力は数倍に跳ね上がっています。

 ρは膝から崩れ落ちました。

 ルナは冷徹にρを見下ろします。

「…友情なんかにほだされるなんて、愚の骨頂―」

 その時。

 闇のオーラがショットガンのように放たれ、ルナの頬を掠りました。

「―!!」

「ρから離れて」

 ωは剣を構えてルナを見据えます。

 一切の甘さを許さない目。

「…本当はルナと戦いたくなかった。でも、みんなを傷つけるなら許さない」

「…戯れ事だ」

 そう答えつつも、ルナは自然と後ずさります。

「戯れ事なんかじゃねぇよ」

 αは拳を握り直しました。

「ルナ、お前は分かってると思ってたんだけどな」

「…みずきたちは、お互いが大切。だから、傷つけたらダメ」

 みずきは銃に弾を込めます。

「ルナ。あなたがこれ以上戦うって言うなら、もう躊躇わない。…全力を尽くす」

 ななは強い口調で言いました。

「…お前ら…」

 ρはゆっくりと立ち上がります。

 ωはニッコリと笑いました。それにつられて、ρも薄く笑みを浮かべます。

 五人の間に、刹那、暖かい空気が流れました。

 それを目の当たりにしたルナの心に、僅かな刺が刺さります。

 強烈な憧れ。

 自分が欲しいものがそこにあるのに、自分は手を伸ばすことができない。

「っ…黙れ!!」

 ルナは怒鳴り、再び天に手の平を向けました。

 

 ルナの頭に、父の笑顔が浮かびます。

 ずっと、ルナは父と二人で生きてきました。

 友達はいませんでした。


 以前は数人の遊び仲間がいましたが、ルナが勇気を出して自分が魔族であることを告げると、翌日から遊びにこなくなったのです。

 しかし、ルナには父がいました。だから、なんとか寂しさを我慢することができました。

 その父がいなくなったのは三ヶ月前。

 突然消えた父を、ルナはずっと待っていました。

 しかし、一週間たっても父は帰ってきません。

 寂しさを紛らわすために、ルナは動物たちを捕まえて飼いました。

 動物たちは懐いてはくれませんでした。それでもルナは、動物たちを手放す気にはなれませんでした。

 ルナはどうにもならない辛さを抱え、この三ヶ月、本当に一人ぼっちで生活していたのです。


「散弾夜!!」

 紫の雨が降り注ぎます。

 戦いながら、ルナはωたちと初めて会った時の事を思い返していました。

 ―ωたちは、『魔族だろうと関係ない』と言ってくれた。

 嬉しかった。

 なのに、どうして自分は戦っている?

 自分は…

 こんなことがしたいんじゃない。

 戦いたいんじゃない。自分は…!!

「ルナ?」

 ωは剣を降ろしました。“散弾夜”が止んだからです。

 ルナは、涙を流していました。

「…っく、ひっく…」

「ちょ、ルナ!?」

 本格的に慌てたωは、ルナに駆け寄ります。

「どうしたの…?」

「っく、違う…あちきは、こんなことしたくない」

 ルナはωに抱き着き、泣きじゃくります。

「あちきは、みんなと友達になりたいだけだ…でも、また会えたって思ったら、みんな怒ってて…き、嫌われたんじゃないかって、思って…」

 ωはようやく理解しました。

“何もわかっていない”は“わかってほしい”の裏返しだったということを。

「ルナ」

 子供をあやすようにポンポンと背中を叩き、ωは息をつきます。

「馬鹿だねぇ」

「な…っ!?」

「ったく、俺たちの辛さもちょっとは考えろっつーの」

 αはプクッと頬を膨らませます。

「え??ど、どういうことだ??」

「俺たち、最初は3丁目の魔族を倒すために旅に出たんだ」

 ρは戸惑うルナに、ため息をつきながら説明します。

「でも、お前と会って、3丁目の魔族がお前だって知って、倒すなんて考えられなくなってしまった。…なんでだと思う?」

「わ、わかんない」

 キョロキョロと視線をさ迷わせるルナに、ななはズカズカと近づいて強烈なデコピンを喰らわせました。

「いたっ!!」

「なーにが“わかんない”よ!そんなの、友達を傷つけたくないからに決まってるでしょ!?」

 眉を吊り上げてななは言います。

「ルナは私たちの友達!!そんなのもわからないのかこのバカチンっ!!」

「…ねぇ、私たちってみずきも?…みずきもルナと友達?」

 いきり立つななの服をみずきがクイクイと引きます。

「バ…バカチン…」

 バカチン、バカチン、バカチン…初めて言われた言葉が、ルナの頭の中で反響します。

 しかし、ルナはフッと微笑みました。

「そうだな。あちきはバカチンかもな」

 ルナは心底おもしろそうに、声をあげて笑いました。

 みんなも笑っていました。

 暖かい空気が、六人の間に流れました。

 

 洞窟に戻った六人は、動物たちを森に帰すことにしました。

 鉄格子を開け、ρが動物を先導して歩きます。

「さすが狼」

 もう何度目でしょうか。その台詞を口にしたαに、ρはお決まりのツッコミ(叩)をお見舞いしてあげました。

 そうこうしているうちに、入口が見えてきます。

 動物たちは喜び勇んで、一斉に駆け出しました。

その時。

「はあっ!!」

 誰かの声とともに外で響いたのは、

 チュドーーーン
 ゴオオオオ
 パリパリパリパリ
 キュイイイイン

 …一言では言い表せないような様々な音でした。

 動物たちは怯え、入口でピタリと足を止めます。

 六人は急いで外に出ました。ωだけは、嫌な予感を抱えて。

 その予感は的中しました。

 

 天使男と数人の魔術師たち―“七色の世界”メンバーたちが魔術を連発していました。

 ωは轟音に掻き消されないよう、大声で叫びました。

「お父さん!」

「…ω!?」

 ω父が振り向き、凄まじい魔術がピタリと止みます。

「何やってるんだこんな所で!!」

「お父さんたちこそ」

「お父さんたちは仕事中だ!!」

 お父さんは答え、ωから目を逸らしました。

 その眼差しの先にあるのは、人間ほどもある黒い球体です。

 それを見た瞬間、ルナは目を見開きました。

「お父さんっ!!」

「…ん?」

 お・と・う・さ・ん?

 黒い球体が、パカリと割れました。

「ルナ!!」

 現れたのは、ω父にも負けない美青年でした。紫のくせっ毛と紫の瞳、頭には闘牛のような角が二本生えています。

 それを見た瞬間、声をあげたのはななでした。

「嘘ぉ!!」

 震える指で、紫の男を指差します。

「だ、だってあの人…ま、魔王様じゃない!!」

「えーーー!?」

 ωたち全員が、一斉に紫の男に視線を向けます。

「いやぁ、俺人気者?」

 紫の男は照れたように頬を掻きます。

 誰一人状況を把握できないまま、時間だけが流れていきました。

 

 

 

 

 

3丁目までの冒険 10

 翌日。

 ωたちはきちんと老夫婦にお礼をして、森へと向かいました。

 3丁目をグルリと囲んでいるその森は、よく人が通るのか綺麗に掃除されています。しかし、ごつごつした木の根っこが地面を這っているので、歩きづらいのは変わりありません。

「いてっ!!」

 森に入って数分後、早速αが木の根に躓いて転んでしまいました。

 ωは「大丈夫~?」と呑気に尋ね、αの手を取って助け起こします。

「ω、もうちょっと慌ててほしい」

「そんな事が言えるならたいしたことないよ」

「治癒するまでもないね」

 ななはポンポンとαの頭を優しく叩きます。

「…くっそ~。ルナのやつ、会ったら文句言ってやる」

 αは少しむくれてしまいます。

「別に、お前がすっころんだのはルナのせいじゃないだろ」

「…八つ当たり」

 ρとみずきはいつもの調子で言いました。

 五人は普段と変わらないように見えます。

 実際、何も変わらないのかもしれません。

 彼らはただ、ルナに会いに行くだけなのですから。

 それでも、本来の目的は『魔族を倒す』こと。万が一の場合は戦わなくてはいけません。


 もちろん、そうならない事を願ってはいたのです。

 しかし―


「…ん?」

 ρは鼻をピクッと動かしました。

「どうしたの?」

 ωがρに視線をやると、ρは鼻の下を指で擦りました。

「…獣臭い」

「自分の体臭じゃねーの?」

「…」

 ρはαに肘鉄を食らわせて、臭いの方向に体を向けました。

「こっちだ」

 確信を持った声 。 
  ρは人一倍鼻が利くのです。

 五人がしばらくρを先頭に歩いていると、やがて木々の隙間に何かが見えてきました。

 全てを飲み込む大きな口のような、暗く深い洞窟です。

「あそこに…ルナが?」

 ななは目を凝らしましたが、人影はおろか動物の影も見えません。

「少なくとも、誰かが絶対いる」

 ρは力強く頷きます。

「あの洞窟、一見真っ暗だがよく見ると魔術で明かりを点している。洞窟の住民って考えていいと思う」

「…お前、視力どんくらい?」

「測定不可。2.0はゆうに越えてるって言われたがな」

 ρ以外のみんなは、ア然として言葉も出ません。

「さすが、お」

「うるさい!行くぞ!!」

 αが何か言う前に先手を打って、ρは洞窟に向かって一歩踏み出しました。

「…狼って、目悪くなかったっけ~?」

 ωたちは洞窟にたどり着くまでの間、その話題で盛り上がったのでした。

 

 一方、その頃。

 ルナは洞窟の中でも一番広い空間にぽつんと座って、一人鼻歌を奏でていました。

「…ん」

 ふと、ルナは鼻歌を止め、辺りをグルリと見回します。

「ωたちかな…来てくれたのか」

 紫の目に、喜びの感情が浮かびます。

 ルナは立ち上がりました。

 そして、再び鼻歌を奏でながら、ωたちを迎えに行こうと歩きだしました。

 

 洞窟は断崖絶壁の下にありました。

 ρの言った通り、中にはピンポン玉くらいの光の玉がいくつも浮いています。そのおかげで洞窟内は明るく、五人は安心して進む事ができました。

「ねー、ρ」

「ん?」

「まだ獣臭い?」

 ωの問いに、ρは頷きました。

「なんか、ますます酷くなってきているような、」

「ねぇっ!!」

 ρの話をななが遮ります。

「あそこ明るくない?」

 ななが指差す先を見ると、右側の岩壁に大穴が空いていました。部屋でしょうか、確かに光が集まっています。

「ルナの部屋かも」

「行こう!」

 αとななは走り出しました。

「…待て!」

 ファクトが制止するのも二人は聞き入れません。

 二人は穴の中に飛び込みました。


「……」

 ななはあまりの事に言葉を失いました。

「は、はは…なんだこれ」

 αは引き攣った笑みを浮かべます。

 穴の中は、鉄格子で半分に分断されていました。

―格子の向こうには、いなくなった森の動物たちが、ぎっちりと閉じ込められていました。

「…やっぱりな…」

 ρは舌打ちすると、ななを押しのけて鉄格子に近づきました。隙間から手を差し入れ、一匹の白ウサギに触れます。

 ウサギは抵抗することもなく、大人しくファクトの手に身を任せていました。

 濁った目で、ファクトを見上げています。

「…体に異常はない。目立った傷もないし、肉付きもいい」

 けど、とρは続けます。

「外に出ないことで大分ストレスが溜まっている。多分、他の動物たちも」

 ωたちは鉄格子の奥に目を向けました。

 充分な餌を与えられているからでしょうか。動物たちは互いを喰らうことはないようです。

 山猫の周りをネズミがちょろちょろと走っていますが、山猫は見向きもしません。疲れた表情で床に伏せるだけです。

 空が恋しいのでしょうか。一匹の小猿が岩壁を引っ掻いています。

「…どうして?」

 みずきは悲しそうに鉄格子の奥を見つめます。

 誰も、カリンの言葉に答えてあげられる人はいませんでした。


「―みんな」


 五人はゆっくりと、この場にそぐわない嬉しそうな声のほうを振り返りました。

「やっぱり来てくれたのか!!」

 ルナは頬を紅潮させ、瞳を輝かせます。

 αはプルプルと肩を震わせ、ルナを睨みつけました。

「…?どうしたα、怖い顔して」

 ルナは不安げな表情で尋ねます。

「…ルナ、お前は!」
 αは怒りに任せて、今まで出したこともないような怒鳴り声をあげました。

「α!」

 ωはαを左手で制します。

「なっ、α!?」

「ルナ」

 狼狽するルナを、ωはまっすぐ見据えます。

「この動物たちを、解放してあげて」

「…え?」

 ルナは潤んだ目をシークに向けます。

「なんで?」

「なんでって…こんなの囚人と一緒じゃん!どうしてこんなことするの?」

 ωは語調を荒げました。

「餌ならちゃんとやってる。一緒に遊んでもいる。何が不満なんだ」

 ルナは平然と答えます。

 ρはルナに数歩近づくと、咎めるような目を向けました。

「お前にはわからないのか」

 ルナの肩がピクッと跳ねます。

「…この子たち、外に出たがってる」

 みずきの言葉に、ルナは俯いてしまいます。

「…ルナ」

 ずっと押し黙っていたななが、おもむろに口を開きました。

「あなたにはわかっているはず。なのになんでこんなことするの?」

「…うるさい!!」

 ルナは突然叫びました。

 ルナの足元から、円形に闇のオーラが広がります。

「ルナ!?」

「お前らなんか、なんにも知らないくせに!!」

 闇は瞬く間にωたちの影を飲み込みます。

 避けることはできませんでした。

 五人はズルズルと闇の中に引き込まれていきました。

 

 

 

 

3丁目までの冒険 9

「お~ついに」

「ついに来たのね」

「やったー!!」

「寄り道ばっかりだったな」

「…うん」

『3丁目到着ー!!』


 五人は拳を天高く突き上げました。

 そう、ついに、やっとのことで3丁目に到着したのです。

「…う~ん、でも」

 ωは晴れやかだった笑顔を僅かに曇らせます。

「思ったより、何て言うか」

「…田舎」

 みずきは端的に言いました。もう少し“言葉に気をつける”ことを勉強したほうがよいのではないのでしょうか。

 しかし、みずきの言葉を否定できないのも事実なのでした。
 西洋風のオシャレな町並みを期待していた五人でしたが、実際の3丁目は、町と言うよりは村に近い自然たっぷりな所でした。

 白亜ではなく、木で作られた家。

 石畳ではなく、地面が剥き出しの道。

 それはそれでよい雰囲気を醸しだしてはいるのですが、想像と全く異なる分だけ、落胆の度合いも大きいのです。

「いい所じゃねぇか」

「空気うまーい!!」

 ρとαは喜んでいます。

「私も、素敵な所だと思う。―けどね」

 ななは拳を震わせます。

「こういう所って、おじいちゃんたちしかいないのよ(断定)!!私、最近美少年カップルに恵まれていないんじゃないの!?」
 じっとりと音がしそうなほど、ωとαを恨めしげに見ます。

「…ここで、あなたたちの仲が発展することを神に祈るわ」

「そんな煩悩の塊なんて聞き入れてもらえないと思うよー」

 ωは笑顔で毒を吐きました。

 なながキーッと金切り声を出します。

「…」

 みずきはそんなななを、いつものように黙って見つめているのでした。

 五人は3丁目の住民に頼んで、民家に泊めてもらうことになりました。

「孫ができたみたいで嬉しいなぁ」

 家主の老夫婦はそう言って、五人を快く迎えてくれました。

「ありがとうございます」

 ωはきちんとお辞儀します。

 おじいさんはωの頭を撫でると、五人を居間に案内しました。

「ゆっくりと寛ぎなさい」

 五人をソファーに座らせ、老夫婦は一旦居間を離れました。

 することがなくなり少し退屈になってしまった五人は、たまたま電源がついていたテレビに目を向けます。

 ニュース番組でしょうか、新人キャスターが緊張した面持ちで事件を伝えています。

 チャンネルを変えるのは気が引けるのでそのままぼんやりと見ていると、速報が飛び込んできました。

「速報です。“赤の鉄槌”一味が今日の正午、警察に全員逮捕されました。警察関係者によると、突然どこかから出てきたとのことです。なお警察は、一味の列車襲撃事件との関係も調べています」

「そういえば、列車に乗ってた人たち大丈夫だったかなぁ」

 ωはぼんやりと怪我をした乗客たちを思い返しました。

「ああ、乗客は全員無事だったらしいよ」

 おばあさんが答えました。手にはオレンジジュースのパックと紙コップを抱えています。

「なんでも、乗客の中に“七色の世界”団員がいたらしくてね。怪我した乗客たちはすぐ治癒魔法をかけてもらったってさ。さ、お飲み」

「いただきますっ!!」

 ガッツは紙コップにジュースを注ぎ、喉に流し込みます。

「もう一杯!!」

「はいはい」

 おばあさんは嬉しそうに目を細めます。

「かわいいねぇ。本当に孫のようだ。―どこから来たんだい?」

「2丁目!!」

「おや、遠い所から来たねぇ。2時間はかかるだろうに」

 …実際は、丸一日+半日以上かかりました。

「いったい何の用で?」

「ん…魔族、倒すため」

 αの声が急に弱々しくなりました。ルナのことを思い出したのでしょうか。

「魔族?」

「3丁目の近くで魔力が感知されたらしくて、魔族を倒しに行くことが決まったんだ」

「そうか。…でも妙だねぇ。私はてっきり、その魔族はもういなくなったと思っていたけど」

 五人は目を見合わせました。

「どういうこと?」

「大分前から、3丁目の近くで魔力を感じるっておじいさんが言ってた。―ああ見えて元魔術師なんだよ。でもここ最近は魔力を感じなくなったって言ってたから、どこかに行ってしまったのかと思ってたけど…ボケてわからなくなったのかねぇ」

 おばあさんは冗談めかして言いました。


「わけがわからない」

 与えられた部屋に入ると、ななは床に座り込みました。

「私たちは、魔族を倒すためにやってきたのよ?なのに、最近は魔力を感じないなんて」

「変だよね」

 ωは荷物を床に置き、うーんと伸びをしました。

「でも、森の動物たちが消えてるんでしょ?」

 

「それはそうだけど…もしかして魔族のせいじゃないんじゃない?」

「それはない」

 ρはキッパリとルななの言葉を否定しました。

「森の動物が姿を消し、大人たちが調べたところ魔力が確認された。…これは事実だ」

「魔術師のせいかも知れないじゃない!」
 ななは怒鳴るように言いました。

 ρは冷ややかな眼差しでななを見つめます。

「…冷静になれ」

「なれないっ!!だって」

「人間と魔族の魔力が本質的に違うことくらい、お前が一番よくわかっているだろ」

 ρの言うとおり、その二つには決定的な違いがあります。魔族は、闇の力を増幅させて魔力として操ります。対して人間は、体にもともと眠っている魔力を呼び覚まして使うのです。

「それに…一人だけつらいと思うな」

 ρの言葉に、ななは肩を震わせました。

「…私は、ルナを倒すなんていや。ずっと考えていたけど、どうしてもルナが悪い子だとは思えないの」

「…」

 みずきはポケットティッシュを取り出しました。それを受け取り、ななは涙を拭います。

 部屋を沈黙が包みます。

 最初に沈黙を破ったのは、やはりαでした。

「あーっ!しんみりするな!そんなこと考えたってしょうがないだろ!?」

「え…」

「倒したくないなら倒さなきゃいいじゃんっ」

 αはフンッと鼻を鳴らします。

「俺はそうする!明日森の洞窟に行って、ルナがやっぱりいいやつだったら戦わない!!」

 なんて単純明快。

 しかし、その答えは誰もが考えつかなかったものでした。

「―うーん、そっか」

 ωはクスクスと笑います。

「そうだよね。行ってみなきゃ始まらないよね。…じゃあ明日は、ルナに“会いに”行こう。また会いたいって言ってたし」

 ωはななに目を向けます。

 ななはしばらくポカンと口を開けたままでしたが、やがて綺麗な微笑みを浮かべて頷きました。

「そうね」

 

 

 

 

3丁目までの冒険 8(パート2)

 ―そういえば。

 あいつは、魔術を同時には繰り出さない。そして、四連続で魔術を撃った後は、必ず何かを喋る。

 挑発するためだと思っていた。けど、時間稼ぎのためにわざとそうしているのだとすれば―

 ωはゆっくりと起き上がりました。

「…ω?」

「みずき、ちょっといいかな…みんなも聞いて」

 4人はひそひそと何かを言い合います。
もやし男は目を鋭くしました。

「何ぶつぶつ言ってんだ!!“攻”!!」

 もやし男が叫んだ瞬間、ルナはバッと手の平を空に向けました。

「散弾夜っ!!」

 手の平からまっすぐ放たれた闇のオーラが天を貫き、雨のように降り注ぎます。闇の雨は次々と起こる小規模爆発を相殺しました。

 ωはルナにこう言ったのです。

 ―ルナ、あいつが“攻”を使ってきたら、散弾夜で打ち消して。

 ωの言葉を信じ、ルナは闇の力を使いました。それはかなりつらいことでした。自分が魔族だということをわざわざ明かすようなものですから。

 ルナの“散弾夜”と同時に、残りの3人はもやし男に向かって全速力で走りました。

 わずかばかり驚いたものの、もやし男はすぐに気を持ち直しました

「“火”」

 炎の竜巻が蛇行しながらこちらに向かってきます。

「はあっ!!」

 ωは渾身の力を込めて、炎を剣で縦に斬りました。炎はしゅるしゅると剣に吸い込まれていきます。

 ―“火”が来たら僕が止める。僕の剣で斬れば魔力として溜め込まれるはずだから。

 ρ、みずきの二人は足を止めることなくもやし男にダッシュしつづけます。

「―っ、“地”!」

 地面が天高く隆起し、行く手を阻む小山となります。

 ρは山を一気に駆け登りました。

 ―“地”が来たら、ρ、なんとか乗り越えてあいつに攻撃して。

「なんとか、って…人任せだな」

 ρは眉をしかめ、山を駆け降ります。

 すっかり余裕をなくしたもやし男は叫びました。

「“守”!!」

 もやし男を、再び球体バリアが覆います。しかし、

「おっと」

 小山のふもとまで降りると、ρは足を止めました。

 もやし男はぽかんと口を開けます。

「…え」

「今だ!」

 ρは小山の向こうに叫びました。

「えい」

 少し間抜けな声と同時に、山のふもとに大穴が空きました。

 ωが先程溜めた火の魔術を小山に撃ったのです。

 あの時、ωがρに言った言葉には続きがありました。

 ―でも、あいつは必ず“守”を使ってくる。そしたらρは思い切り叫んで。僕が剣に溜めた火の魔術で“地”を破壊する。あとは、みずき―

 時間切れとなったバリアがサラサラと崩れて消えました。

 小山の向こうには、銃口をまっすぐもやし男に向けたみずきがいます。

 ―銃で撃って!!

 みずきは引き金を三回引きました。

「…死んでないよね?」

 全てが終わった後、みずきは恐る恐るもやし男に近づきました。

 もやし男は右肩と両膝から血を流し、白目を剥いて地面に頬をつけています。

「死んでない」

 みずきはきっぱりと言い切りました。

「死ぬようなところは狙ってない」

「よかったー」

 ωはふわりと微笑みました。あの作戦を考えた人とはとても考えられない、子供らしい笑顔です。

 

「ω!大丈夫か!?」

 αとなながこちらに歩いてきました。ルーシャの魔術が効いたのでしょう、ガッツはすっかり元気です。

「α、もう平気なの?」

「おう!役に立てなくてごめんな」

「ううん、αのおかげだよ」

 その言葉に、αは怪訝な表情を浮かべます。

「なんだ?慰めか?」

「違うよ…αが“地”で閉じ込められた時、あいつは“火”と“攻”を使えば、確実にガッツを倒せた。なのにそれをしなかった。だから思ったんだ、もしかしたらあいつは、魔術を連続で使えるけど同時には使えないんじゃないかって」

「…ω、お前頭いいんだな」

 αは、この親友の凄さを改めて実感しました。そんな僅かな情報だけでここまで頭が回る十歳がどれほどいるでしょうか。

「あ、もちろん他にもヒントはあったよ?だから、これはみんなのおかげ」

 ωはそう言って、一人一人の目を順繰りに見ました。

「みんなありがとう」

 戦場特有のぴりぴりした空気が、一気にまろやかになりました。

 その時、

「おい!」

 野太い声が聞こえたので、ωは振り返りました。

 ガタイのいいリーダー格らしき男が、いつの間にか離れたところに立ってこちらを睨んでいます。

「え~、まだいたの?」

 ωはうんざりしました。正直、もう戦いたくありません。

「じゃあ、私がなんとかしてあげる」

 何を思ったのかルななはニヤリと笑うと、呪文を唱え始めました。

「我は火を欲す、我は地を欲す、我は攻を欲す、我は守を欲す。…こんな感じかしら」

 指をガタイのいい男に向けます。

「パクってごめんなさい!“攻”!」

 ルーシャは楽しそうに言いました。すると、なぜか小規模爆発ではなく、大地を揺るがすような大爆発が起こりました。

 ドーーーーン!!

 空気が震え、もうもうと土煙が上がります。

「…あれ?」

「何やってんだ!?氷雪華!」


 ルナは氷の粒で土煙を払いました。

 ガタイのいい男は地面に伸びていました。

「…あ~、これ、コントロールが難しいのね。使うのは無理かぁ」

 ななは唇を突き出しました。
(例え悪党だとしても、戦闘準備の整ってない相手を魔術の実験台にするなんて非道だ。そんなツッコミをしてあげる人はいませんでした。みんな疲れていたのです)

「なな、こいつら警察に送るぞ」

「できるの?」

「ちょっと離れてて」

 ルナはみんなを自分から遠ざけると、足元に意識を集中しました。黒っぽい紫の影が、ルナを中心に円形に広がります。

 影が倒れ伏している男たちまで到達すると、男たちはズブズブとその中に沈み込んでいきます。

 まるでホラー映画のワンシーン、なんて一生懸命なルナには言えません。

 やがて男たちは完全に影の中に入って見えなくなりました。

「ん、オッケーだ。近くの警察署に送っといたから、後はなんとかなるだろ」

「闇の力ってそんなこともできるのね」

 ななは心の底から感嘆しました。

 ルナはななを一瞥して、ふっと顔をそらします。

「…ななは、あちきが怖くないのか?あちきは人間じゃないし」

「平気よ。だって私たちを助けてくれたんだもん、そんなこと思うはずがないじゃない。ね、みずき?」

 みずきはこくりと頷きます。

「…そんなこと言ったら、ρはどうなるの?」

「みずき、それ今日二回聞いた」

みずきに言われたのがショックだったのか、ρは肩としっぽを落としました。

 ルナはけらけらと笑うと、

「お前たち、面白い奴らだな」

 足元に再び闇を這わせました。

「久々に楽しめた。また会えたらいいな」

「うん」

 ωは首を縦に振りました。

 ルナの身体が、闇にすっと落ちて消えました。

 ………

「あっ!」

 闇の穴から、ルナがもぐら叩きのもぐらのように飛び出します。

「花を摘まなきゃ」 ルナはテキパキと花を摘み取ると、今度こそ闇の穴に飛び込んで見えなくなりました。

 闇の穴が掻き消えると、ななはプッと小さく吹き出しました。

「案外普通の子なのね、魔族の子でも」

「…みずき、あんまり話せなかった」

 みずきは残念そうに、闇の穴が空いていた地面を見つめます。

 男三人はしばらく黙ったままでしたが、堪えきれなくなったαがついに口を開きました。

「―なな、みずき」

 二人はαの方に視線を向けます。ガッツの表情は、今までに見たことがないほど思い詰めたものでした。

「実は―」

 ガッツはポツポツと説明しはじめました。

 

 

 

 

 

3丁目までの冒険 8(パート1)

~みずき・ななSide~

「大変です!!」

 外の見回りに行っていた下っ端の一人が、焦った様子で穴蔵に戻ってきました。

「どうした?」

「霧が晴れてます!!このままだと、見つかるのも時間の問題ですっ」

 下っ端の言葉に、穴蔵の中でざわめきが反響します。

「黙れ!」

 もやし男が一喝しても、ざわめきは収まりません。

 ガタイのいいリーダー格の男は、苦虫をかみつぶしたような表情で言いました。

「まだ人質がいる、いざとなったらそれを盾にすればいい。…人質を担ぎ出せ」

「はっ!!」

 もやし男と下っ端たちは一斉に返事をして、いまだグッタリと目をつぶっているみずきとななを担ぎました。


~ω Side~

「待てっ!!」

 αは、桜の根元の大きな穴から蟻のようにぞろぞろと出てきた男たちを呼び止めました。

 男たちは「やはりきたか」とでも言いたげな表情で子供たちを睨みつけます。

「みずきとななはどこだ?」

「見てわかんないか?ここだよ」

 もやし男はニヤニヤと笑い、部下二人を指でさします。

 部下の男たちの腕には、力無く目を閉じているみずきとななが抱えられています。もちろん、それぞれに別の部下が銃口を向けて。

「さぁどーする?言っとくが、下手なマネをすればお仲間の頭に鉛が食い込む事になる」

 もやし男は強い口調でωたちを脅します。

 ルナが「むっかつく!!」と吐き捨てるように言いました。

「あいつら、最低だな!!」

「うん。…ρ、何とかできない?」

 ωは一縷の望みをかけてρを見ました。この4人の中で一番早く動けるのはρです。

 ρは力無く首を横に振りました。

「ダメだ。相手が多すぎる」

「…」

 もやし男は耳障りな声を出して高笑いしました。

「ヒャハハハ!!そうだよなぁ!?仲間を見殺しになんてできないよなぁ!?…お熱い友情だな」
 もやし男はωたちを挑発するかのように、自らの銃をななに押し当てました。


「―瞬間移動っ!!」


 よく聞き慣れた声が、聞き慣れた魔術の名を叫びました。

 ななとみずき、そして二人を抱えていた部下たちの銃までもがフッと消えます。

「―!!」

「何が“下手なマネをすれば~”よ!全然かっこよくないしっ!!」

 嘲笑を浮かべてそう言ったのはななです。彼女とみずきはいつの間にか、ωの隣に立っていました。

 ωたちは目を丸くして二人の方に顔を向けます。ななは可愛らしくウインクしました。

 もやし男はわなわなと唇を震わせます。

「お、お前たちっ!一体いつから!?」

「奴隷にして売りとばすとか話してる頃には、とっくに目が覚めてました。ねぇみずき?」

 みずきはポケットティッシュを取り出し、二丁の拳銃をしきりに拭っています。あの男たちに触られたのが相当嫌だったようです。

 怒りで顔を真っ赤にしているもやし男に、ななは駄目押しの一言を叩き込みました。

「やっぱり勝負はフェアじゃないとね。それとも、私たちが起きてたことにすら気づかないあなたたちに、集団で挑むのは少々不公平かしら?」

「―っ、嘗めるな!!」

 もやし男の激昂を合図に、下っ端の男たちが一斉に攻めてきました。

「火炎球っ!!」


「氷雪華っ!!」

 ルーシャとルナが同時に魔術を放ち、下っ端男たちの半分程を吹き飛ばします。

「あら、あなた強いのね。名前は?」

「あちきはルナ。お前の魔術もなかなかだ」

「ありがとう。私はなな、よろしくね」

 ななとルナが意気投合している間に、みずきは弾倉に弾を補充し終えました。

「…血、うんざりだけど、仕方ない」

 できるだけ殺さないよう足元を狙って、カリンの銃が火を噴きます。

 一分後。

 結局、女の子三人の力で下っ端全員が戦闘不能になりました。

「ちっ、腰抜けめ」

 小悪党極まりないセリフを吐き、もやし男はぶつぶつと何かを唱え始めます。

「…我は火を欲す、我は大地を欲す、我は攻を欲す、我は守を欲す…」

「―やべっ!!」

 本能的に危険を感じたαは、拳を固めてもやし男に突進しました。αの拳が風で覆われます。

「拳風っ」

「遅い!!“地”!!」

 もやし男が腕を水平に振った瞬間、

 αを囲むように地面が隆起し、塔のような高さの障壁となってαを閉じ込めました。

「なっ…」

「次いで、“攻”」

 次の瞬間、爆音とガッツの叫び声が響きわたりました。

「α!!」

 ななが急いで駆け寄ります。

 塔がサラサラと崩れると、そこにはαが苦悶の表情を浮かべて倒れていました。腕や顔に複数の火傷の跡があります。

「うぅ…」

「しっかりして!!“天使の梯子”!!」

 ななはαの手をとり、回復量も速度も最高ランクの治癒魔術をかけました。αの体全体を、白く明るい光が包み込みます。

「くそっ」

 舌打ちし、ρがもやし男に猛進します。鋭く尖らせた爪が鈍く光りました。

「“火”」

 しかし、ρの爪はもやし男には届きませんでした。もやし男が向けた指先から、炎が放射線状に広がります。

「―っ」
 ρは身を捻って何とか避けましたが、腕の毛がわずかに焦げてしまいました。もし直撃していたら、間違いなく全身に火傷を負っていたでしょう。

「えいっ!」

「…当たれ」

 ωは剣に溜め込んだ魔術を、みずきは銃弾をもやし男に放ちました。

「―“守”」

 その、最後の望みでもあった攻撃は、もやし男が魔術で張ったバリアに阻まれます。

「ハッ!?どうだ?俺の“四連魔術”は!」

 もやし男は目をカッと見開いて言いました。

 四連魔術…呪文を唱えるために時間を要するものの、四つの魔術を自由自在に操れるようになる上級魔術です。

「…」

 ωたちは呆然とその場に立ち尽くしました。

「声も出ねぇか!?“攻”!!」

 もやし男は容赦なく魔術を繰り出します。

 ωたちを狙って小規模爆発が次々に起こります。

「障壁っ!!」

 ななはαを守るために、魔術で障壁を張りました。他の4人もそれぞれ上手く爆発を避けます。

「“火”」

 もやし男を中心に、炎が波紋状に広がりました。4人はジャンプしてそれを避け、一斉にもやし男に攻撃を仕掛けます。

「“地”」

 足元の地面が隆起し、今度はもやし男が塔の中に閉じ込もります。

 ωとρはその塔を砕きました。

 塔は呆気なく崩れ落ちます。

 もやし男は嫌な笑みを浮かべ、崩れた塔の中心に立っていました。

「―“守”」

 もやし男を、球体のバリアが包みました。バリアは敵を拒絶するかのように、ωたちを勢いよく跳ね飛ばします。

 体重の軽い4人の身体は呆気なく宙に舞い、地面に音をたてて激突しました。

「痛っ…」

「―なすすべもないだろ?お前たちガキが、俺たち大人に敵うわけねぇんだ」

 もやし男は冷ややかな笑みを浮かべます。

 ルナは唇をギュッと噛むと、もやし男を睨みつけて立ち上がりました。

「何が大人だっ!!くだらないことをベラベラ喋って人を嘲笑うなんて、子供と一緒じゃないかっ!!」

「!!」

 ωは、ルナの言葉にはっとしました。

 

 

 

 

3丁目までの冒険 7

 ルナは何かを覚悟したかのように、ふーっと息を吐きました。

「…ω」

「なに?」

「…本当は使いたくなかったんだかな。これを見ても、できれば嫌わないでほしい」

 ルナは上空に片手を伸ばし、叫びました。

「―散弾夜さんだんやっ」

 ルナの手の平から、濃い紫のオーラが溢れ出しました。黒にも似たそのオーラは天を貫き、雨のように降り注ぎます。雨が止むと、霧はすっかり晴れ上がっていました。

「―!!」

「やはり驚くだろうな。見てわかったと思うけど、あちきは魔族だ」

 絶句するωに、ルナは悲しい笑みを浮かべました。魔族だと知り、驚き怖くなったと思っているのでしょうか。

 しかし、ωが絶句したのは、『3丁目に近いこの場所に』魔族がいることです。

「あ、あのさぁルナ」

 αも同じことを考えているのでしょう。少し声がうわずっています。

「ル、ルナってどこに住んでるんだ?」

「え?…3丁目過ぎの洞窟だが」

 やっぱり。

 ωの背後で、ρがため息をつきました。

「…どうした?」
「ううん、何でもない」

 ねぇ、ルナ。―ωはふわりと微笑みました。

「僕は、ルナが魔族でも気にしないよ。αもρも、ね」

「そーだそーだ!!大体そんなこと気にしてたら、この犬耳男はどうな、」

「誰が犬耳男だ!!」

 ρはαに怒りの鉄槌(拳)を撃ち込みました。

「…本当か?」

「うん」

 ωは強く頷きました。嘘は一つもついていません。驚きはしたものの、ルナは『3丁目の魔族』ではなく、ルナなのですから。

「ありがとう」

 照れているのか、ルナはふいっと顔を背けます。

「…あ」

 ルナが目を向けた遥か先に、大きな桜の木がありました。薄桃色の花が満開に開き、大きさだけでなく美しさにも目を奪われます。

「…思い出した」

「何?」

「あの桜の木、根元に穴があいているんだ。中は意外と広い。数人くらいなら余裕で入れる程にな」

 ω、α、ρの3人は桜の木を見つめました。

 あそこに、ななとみずきが。

「行こう」

 ωはきっぱりと言いました